ペルーで事件簿2 -8ページ目

★ペルー人から見た日本とは

新聞に付属で付いてくる教材に載せるための日本の記述。



「日本の歴史を250字以内で簡潔にまとめなさい」



どうなるでしょうか。ペルー人から見た日本です。




日の出所の帝国


1192年、軍事独裁者(Shougun)が現れ、その権力の下、1867年まで皇帝と共存した。

1867年には明治時代が始まり、1894-1895の日中戦争により台湾島の主となった。

1905年のロシアとの衝突に打ち勝ち、1910年には朝鮮を併合、

1914-1918の第一次世界大戦突入時には太平洋上のドイツ領土をものにする。

1931年、国粋極右派により満州を占領、領土拡大は1937-1938に中国北東部を

アジア南東部及び太平洋の大部分をものにするまで続き、1945年の降伏により幕を閉じた。



…鎌倉から江戸までを将軍と言う共通項で人くくりにしているのがダイナミックですね。

しかしこれを見ると征服だのなんだのしか書かれてない。それをポイントに絞ったということなんでしょうが。

250字でまとめるというのが無理ですけどね。



  japon visto por los peruanos



ちなみにこれが日本地図なのですが、クリックして拡大してみてください。

なんか注目している都市が独特ですね。

神戸はあるのに大阪ないし。

日立がんばってるじゃん!

福島なんか二つもあって、一つは北海道にあるし。

中村?浜田?

カタリナさん、この二つの都市にはペルー人の働く工場がいっぱいあるの?

それに中村って地図見ても見つからないんだけど…。四国じゃなくて本州?






まあ、こんなもんですわ。


☆やけにアクセス数が上がりましたが…

僕はそんなどこでも見れるような記事は載せませんよ…。

★天国への手紙― ルーチャ・レジェス

手を引き

貧しい男の子を連れ

一人の男性が

交番に現れます



「世の中どうかなってますよ」


 興奮して男性は言います


「今日連れてきたこの坊主は

 こんなに小さいのに盗みを働いたんだ」



se presento el senor

「まあ落ち着いて。お座りになってください

 ここはわたしにお任せください

 何を盗まれたんですか」


 と警官は言いました



「わたしの店でね

 糸を一巻盗んだんです

 だから容赦なく

 絞り上げてください」




 警官は聞きます


「言ってごらんコソ泥君

 おじさんの言っていることは確かかい

 それと 泣くのをやめなさい」



dejando de llorar



男の子は答えます


「 はい 確かです お巡りさん

 糸を一巻盗みました

 届くようにと思って




 僕の白い凧が



 空の青に



 僕の愛しいママが



 行ってしまった所に



 届くようにって





azul del cielo ed




手紙を一枚


 僕の凧にくくりつけているんです


 ごめんなさい でも僕はほんとにその手紙で


 お母さんに聞きたいことがあったんだ



 どうして僕の美しいママ

 どうして遠くに行ってしまったの

 哀れなパパのもとに僕をたった一人残して…


 どうして僕の美しいママ

 どうして遠くに行ってしまったの

 哀れなパパのもとに僕をたった一人残して… 」






"Una carta al cielo", Lucha Reyes        … 原曲を聞きながら見てください。泣きますよマジで。

★にへへへへへへへ

旅だーーーーーーー!!!!



tren para huancayo




旅ができるできるぞっ、旅ができるぞっ!!!


今日の新聞で発見、今月の27日に、ワンカヨ行きの観光列車がリマからたつそうです。

ぐふふふふふ、本格的なたびは大輔とボリビア・プーノに行って以来一年ぶりなのだ。


えーと、この列車は世界一標高の高い鉄道での到達地点を通るということで知られています。

車でそこら辺に行くことはできるけども、実際列車でいけるなんてそうないのだ。

ペルーに住んでる者の特権♪


ちょうど仕事もその期間ないのだ。


日本一高い鉄道の到達地点は長野・野辺山の1375m。


ペルーは…




 4 8 0 0 m (ぐらい… 色々調べたけどソースによって数字が違うんです)!!!




列車は8月27日の午前7時に出発。


チョシーカ、サン・バルトロメー、マトゥカナ、リオ・ブランコ、チクラ、カサパルカ、チンチャンを通り、

標高3280mの街、フニン県ワンカーヨへと到着します。



わかりますか。



アンデスをね



列車でね



横断するの!!!



ぶはははははは。


血がたぎるというかね。



大体300kmくらいの行程でね…



60のトンネル



61の橋を



通過するんです。



ペルーでトンネルと橋ですよ!!!



世界一高い場所にある鉄橋も通過するとの事。

一番最初に止まる駅ティクリオからは

5000m級の雪をいただいた山々や、湖が見えるんですってよ奥さん!

マチュピチュトレン同様、ジグザグテクもあるとのことですよ。


100年近い歴史を持つリマ・デセンパラード駅を出発、

30kmから40kmの時速で、およそ12時間ほどかけて目的地に着きます。


プーノよりさらに1000mほど高いところをゆっくり行くわけですが

高山病とかのことは考えませんよ。

こういうのは行く前のわくわくが一番楽しいのだ。


クスコで旅をするときクスコからマチュピチュに行くときに標高が3400mから

2400mに1000m下がるので楽になるが

この旅では4800mから3300mに1500m下がって楽になるというね。桁がね。

楽になってるのかほんとに。




しかしまあ




旅ができるぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!


★「あんたの頭には しらみが おるよ」

なんてことを小学校5年生の頃に

けんかばっかりして先生の手を焼かせていた僕は言われたことがある。


僕に精神的ダメージを与えたかったのだろうが、

もちろん僕の小学校の時代にしらみはいなかったし

しらみが何かも知らなかったので、ダメージを僕は一切こうむることなく

山口の田舎でけんかばっかりしていたのだ。

その先生が子供の頃には日本にもいたんだろうけどね…。



しらみのことなど、そうして忘れていきました。



   piojo



うげ、キモ…。



そのしらみを20年ぶりくらいに思い出したのは

こちらペルーに来てからのことだ。


よく遊びに行っていた施設の子供達が、列になって座り、

それぞれ自分の前にいるこの髪の毛を指で掻き分けている。


「しらみを取ってるの」


お母さん役の人が僕に言う。


そうか、しらみがいるのか。僕は小学校時代のことをちょっとだけ思い出したが

すぐに身近にしらみがいるということを受け入れる。




さあ、「しらみ」とは…



・人の生き血を吸う昆虫で、頭、体、陰部、どこに付くかによって三タイプによって分かれる。

 かむときに出す唾液の成分により痒みを起こす。


・簡単に他人から伝染する。主に子供同士がくしや帽子、寝具の貸し借りをすることによって、

 所持者から非所持者へと感染する。



ですから…



・むやみに他人とくし・帽子・寝具の共有はしない


・常に頭を清潔に。男性は髪はできるだけ短く保ち、女性は三つ編みなどにしてうなじが隠れないようにする。


・白酢をリンスにする。しらみの卵が付着するのを避けるし、髪の酸性を変え、しらみを遠ざける



しかし感染した場合は…



・まず感染したであろう場所の責任者に報告、全体に注意を促す。


・LindanoとかPermetrinaと呼ばれるしらみ薬を頭に塗布。すきぐしを頻繁にかける。




ペルーにしらみはいます。

そしてしらみによるチフスの感染も報告されています。



…なんかこんな記事かいてると体痒くなってくるわ。はよ寝よ。

★モトタクシーの王

     el rey de mototaxi



マグダレーナ区、または貧困地区でよく見られるこのモトタクシー。

今日はそのモトタクシー業界最大手のSednaの社長、ウーゴ・ヤジコの



プロジェク○×(まるぺけ)!!!



…リマ市ビジャ・エル・サルバドール区、そこにその男が裸一貫で築き上げたSednaの本社工場がある。


その男の歴史が始まったのは1998年、勤めていた日本のバイク会社に別れを告げ、

友人のセサルと共に自らの新たな道を模索し始める。


今では押しも押されぬモトタクシー業界トップのウーゴだが、

最初から明るい道が開けていたわけではなかった。


セサルと共にビジャ・エル・サルバドール産業パークの一角を借りて始めたのは金属製家具製造。

バイク業界で培った手先の細かさを活かして家具製造に従事するが、

なれない業界でなかなか売り上げは上がらない。

共に昔の会社から別れを告げたセサルと、以前のように空を見上げて先行きが見えないことを嘆く。

一年足らずで資金は底を付きかけていた。


そんな時、ある注文が彼の会社の元に届く。

それは本来の家具の製造でなく、一台のモトタクシーを作ってくれというものだった。


家具屋がなんでモトタクシーを


嘆きながらもせっかくの注文を無駄にせず、

過去の経験を活かし、数週間を費やしモトタクシーを作り上げ、満足行く品ができた。


そしてまさにその数日後、運命の転機は訪れる。


ビジャ・エル・サルバドール産業パークで行われた産業市に

自社の家具を携えて参加したウーゴは、ある機会に一度モトタクシーを作ったことがあることを人に語る。

そしてその噂はたちまちのうちに業界に広がり、徐々にモトタクシーの製造注文が来るようになる。


一台作れたんだから百台だって作れるさ


日本のバイク会社で培ったバイク製造のノウハウをモトタクシー前部バイク部分の製造に活かし

家具製造で培った技術を後部の乗客乗車部分に活かす。

しかし本業として打ち込むとなると次々に課題点が浮き上がってくる。

大部分が砂地で起伏の多い貧困地区を走るモトタクシー。

改良に改良を重ねる。

構成パーツは自社製だ。

事あるごとに従業員と額を付き合わせ、より良いモトタクシー製造のために議論を重ねる日々…。



taller



そして最初週15台の製造ペースだったのが、6年たった今では40台から60台になった。


最初は一つの一階建てのちっぽけな工場だけであったが、それは今数階建てのビルになり、

プカルパとタラポトにも工場を作った。


国内にもはや需要は少ないと見るや、

マーケティングを重ねた結果、2004年、ベネズエラとコスタリカに輸出を始め、

更にコロンビアにも目を向ける。


男の野望は尽きることがない。


いや、まだ自分が勝ち組だとは思ってません。

 おそらく僕らがラテンアメリカでモトタクシーの一番の製造業者になれば

 そう感じるかもしれませんけどね


今でも気を緩めることなく品質改良は続く。

本社工場の入り口には、品質向上のためのスローガンと、Sednaグループの経営理念が書かれた看板がある。

またその看板はプカルパとタラポト工場にも同じようにある。

それは


良い企業である秘訣は、皆が同じ意思のもと働くこと


そして


向上のための言葉は受け入れられる


という認識があるからだ。



現在Sednaでは月間250台のモトタクシーが製造されている。

さらにVelorexという自社製バイクにおいても特許を得て、大いに成功を収めている。




★「さむっ!」

僕はそういってTシャツの上から一枚のフリースを着ました。


ペルーは今真冬。

耐え難い寒さ」がリマっ子の健康を脅かしてるそうです。



湿気



この二つの言葉がリマの冬のキーワードになります。


8月14日現在、リマ


最高気温 18℃

最低気温 14℃

湿度    82%


エスカルゴ・ペルー によると、平均70%から99%に達するペルーの湿度は

70%~90%を最適湿度とするナメクジの発達に非常に適しておるとのことです。


夏恐ろしく蒸し暑い大阪キタでも同じ日の湿気は最高78%です。

日本でもなかなか体験できない湿度ということですね。特に冬の湿度ということで。



…午後8時に寒さを感じて服を一枚多く着た僕ですが、

窓とベランダのドアをあけっぱにしてうたた寝したのがいけなかったのでしょう。

閉め切った今は再びTシャツ一枚です。


…運動神経の悪い体育会系の僕ですが、別に強がってるわけじゃありませんよ。

日本の寒さになれている僕にはやはり寒さを感じないんです。



おそらく



人間というものは


生まれた環境での季節による温度差というものに慣れてしまうと

その環境での最低気温を「もっとも寒い」と設定し、最高気温を「最も暑い」と記憶する。


つまり


最低気温0℃最高気温35℃の環境に慣れると、

最低気温16℃最高気温26℃の環境では、「もっとも寒い」も「最も暑い」も感じることがない。


あたりまえのことのようですが


逆に考えるとね


最適気温16℃最高気温26℃の環境に慣れた人は

その最低気温16℃を「もっとも寒い」、もしくは「死ぬほど寒い」と感じるわけでしょう。

それは、体の記憶。


7月20日の新聞の記述を借りれば最低気温14.4℃のその日は、


リマは冷蔵庫と化した


らしいです。


しかしまあ同じリマの中でも湿気の多いところ少ないところがあります。

僕の住むところなんか海岸近くなので朝はかなり湿気が多かったりする。

また



       cerro el pino


こんな砂山に粗末な家を不法侵入で作って住んでる人には寒さがよりつらいそうです。


写真はかの有名なセロ・サン・コズメより100mほど高い隣の289mセロ・エル・ピノ。

頂上まで敷き詰められた家々が興味ぶかい。

なんでしたっけ、ヨーロッパの島全部が城、みたいなやつ…。

たぶんそれも世界遺産のはずだから、この山も世界遺産でもいいと思うんですよ。


ここはもう歴史があるので家が煉瓦化していますが、

不法侵入したての地域などは家はとたんや竹を編んで作ったシートで作られており、

隙間から思いっきり砂と湿気を含んだ冷たい風が吹き込むそうです。


太陽の照る午前中はまだいいが、午後3時くらいから風邪が強くなり寒さが増す。

夜になると強い風が竹のシートを吹き飛ばす。

子供の八割以上が喘息で苦しみます。



…リマの冬から身を守るためには


・タバコを吸わない(湿気でのどをやられるので)

・焚き火や石油ストーブは寝室のそばで使わない

・換気を良くする

・掃除をするときは濡れた雑巾でし、できるだけほこりを立てない

・洗濯物は室内に干さない



以上、湿気やホコリを念頭に入れたリマの独特な寒さ対策でした。


★おつりを返せキャンペーン

なんかしまらない名前ですが、そういうキャンペーンがあるそうですな。

今日は特別に山口弁でどうぞ。



知っちょう?ペルー人は1年に9ソルをどぶに捨てちょるほって。


メトロとかでかいもんしたら4センティモとか6センティモとかの、10センティモより小さいおつりは

レジでは返されんで10センティモ単位でしかお釣りをかえさんやんか。

つまりあの半端な小銭はスーパーのもんになっちょうわけじゃあね。

ほいやけそれでおこっちょう人がおるほ。


ペルー消費者・利用者協会の人なんやけどね。

「うちらは10センティモ以下の小銭を受け取る権利があるわいね」って

ゆうちょるんやね。


そういう小銭がないわけやないほよ。

7月だけでも中央銀行は60万枚の1センティモと5センティモの小銭を作っちょるんって。

やけあることはあるほいね。


1年に一人9ソルやろ。それにサンタ・イサベル、ウォン、プラサ・ベア、メトロ、トトゥス、サンフェルナンド

の小銭を返さん店の利用者1300万人をかけると、

1億800万ソルが消費者に返されちょらん計算になるほね。

それを考えて怒りが収まらん人がおるっちゅうこといね。



やけど日本の感覚で考えたら1円は10センティモやろ。

おつりを銭で返されたら財布がパンパンになるわあね。

いらんやろうがねそんな小銭、どうするんかいね。

そんなんいらんよ。

大体そんなんレジで返されたらただでさえ遅いペルーのレジが、更に遅くなるやろうがね。

客も細かいのいちいち払わんにゃいけんほよ。


1年に9ソルって、1年間そんな我慢しても、関門トンネルのふぐ天丼も食えんけ。

もうしらんよ。好きにしいね。ぶちはぶてちゃるけえ。




★悲劇

llanto



叫びが聞こえてきますか。


泣け叫ぶ上半身裸入れ墨の男。

それを耐え切れず視線をそらしながら男を支える制服の男。

周りに漂うあきらめの空気。


映画のようなこのシーンは、おとといの深夜に起こった、実際の交通事故の映像です。


深夜三時、しとしとと冬のリマの霧雨が降る中

彼女をご自慢のトヨタプラッツに乗せた男は

ほとんど車のないViaExpresaを、バランコ方面に向かって濡れた路面の上をご機嫌で飛ばします。

31区画、コルパック橋に近づいたあたりで車はスリップ、

街路樹に激突

車は数回横転します。


ほとんど無傷で出てきた男が車外で見たのは

シートベルトをしてなかったがために放り出されてぐったりする彼女。


男は21歳、彼女は






15歳でした。



数分後に駆けつけたサン・イシドロの警察が見たのは

少女を抱きかかえ泣き叫ぶ男。


(↓画像は結構ショッキングです。小さくしてますがクッリクすれば大きくなります)


tragedia



「起きてくれミ・ビダ、死なないでくれぇ!」


駆けつけた警察に興奮した男は石を投げ、追い払おうとします。


「一人にしておいてくれ!俺は彼女のそばにいたいだけなんだ!」



夜三時、男の吐く行きからは、十分な量のアルコールが検出されました。

★ペルーのお値段?

キューバといえばブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのイブラハム・フェレールがなくなったばかりですが、

もう一つペルーにまつわる話題が一つ。


貧しい国ではどこでもあるようですが、自分の国を出たいと考えている人が、

その手段として先進国の人間と結婚すると。


ネットで見つかればいいですが、そうもうまく行かない人は

お金を払うわけですね。



cubanos



アメリカ合衆国、メキシコ、ヨーロッパ人と結婚するに当たっては、

5000ドルほど愛のない結婚のために払わなければいけないそうです。

コスタリカなら2000ドルですって。


え?


ペルー?


一応リストの中に入ってるんっすよ。


え?


キューバから出てペルーに行ってどれだけ得があるのかって?

ペルー人自体が自分の国から出たがってるのにって?


マチュピチュが見れるし、   yukamochi  ユカモチが食べれるし…。



ペルーのお値段はね…






     8  0  0  ド  ル  (アメリカの六分の一…)





うーん、お得なんでしょうか。



…なにわの不動産屋時代にね、こんなことをやってました。


もちろん商売人としてはより高いマンションを借りてほしいわけですわ。

しかし最初からSRC・フローリング・オートロック付きのいい部屋を見せてしまえば、

お客さんはいいものに目がなれてしまって、いいものをいいと思わなくなる。


だから最初は、


安くいけどめちゃくちゃぼろい木造(ベランダなし)のアパートとかを、


「昭和のロマンはいかがですか。新大阪の駅近くなのに30000円きってます!」


とか言って見せるわけですね。

実際一緒に入ってきしむたたみの上を一緒に歩き、

和式トイレのゴキブリを見て「げっ」とかわざとらしく叫ぶんです。


そうすると大概のお客さんは「いやこんなんあかんわ」となるわけです。

そして自然と「もうちょっとお金を出してもええとこ住も」となるんですね。

そうやって、お客様には、相場を肌で理解していただけるわけでございます。


そういった最初に見せる安物件を大阪の不動産業界では「あてブツ」といい

最後に見せる決めの高い物件を「決めブツ」といいます。



つまりキューバで結婚を売ってる人間は



ペルーであてて、アメリカでてる可能性が高い…。