ペルーで事件簿2 -4ページ目

★甘い思い出が

大学生の頃の話。


大阪・箕面に住むスペイン語科の学生だった僕は、

箕面・豊中・大阪市のあらゆるレンタルビデオショップを回り、

存在する全てのスペイン語で作られたビデオを借り、

全てダビングして繰り返し見ていました。


…同級生の中で卒業するまで海外に行ったことないのは僕だけという現実。

海外旅行のできない貧乏学生が唯一スペイン語諸国を旅する手が、

スペイン語の映画を片っ端から見ることでした。


今ではそのビデオも僕の田舎でカビてるんだろうなあ…。



中でもお気に入りは今では巨匠となったロバート・ロドリゲス(「デスペラード」「シン・シティ」他)の

一番最初の作品「エル・マリ…(以下省略)。



強く印象に残っている5本の映画を上げるとすれば

スペインの巨匠カルロス・サウラの最高傑作「カラスの飼育」が間違いなく入ってくる。


 cria cuervos



ジュラルディン・チャップリンの美しいスペイン語の歌うようなモノローグもさることながら

忘れられないのはジャネットの挿入歌「ポルケテバス」というロリロリの歌。

やべー と思いながらもひきつけられるメロディと声。


ここから視聴できます。



…その映画ができてテーマ曲の「ポルケテバス」がはやったのが僕の生まれた1975年。


びっくりしたのは、ペルーでもその曲は大人気で、

なんと30年たった今でもラジオでしょっちゅうかかっているのだ。


「彼女の声は何十年立っても変わらないのよ。今でもあの当時のままの声なの」

なんてことをよくペルー人から聞きました。


jeanette



ありえないこと。

昨日の午後10時くらい?パソコンで写真を貼り付けていたその時、僕の部屋の窓を通して

あの「ポルケテバス」が僕の耳へと入ってきたのです。

ラジオじゃなくて、これは生演奏の生の声。


そんなはずは…。

どうせ別人が歌ってるんだろう。


あ…、たしかメトロで彼女がスペインからやって来るって宣伝してたっけ。



考えるまもなく僕はジャケットを着て外へと飛び出しました。

うちからあるいて3分ほどのところであのジャネットが、間違いなくコンサートを開いていたのです。


早足でコンサート会場のすぐそばへとたどり着いた僕は、

次の曲を耳を澄まして聞き取ろうとしていました。

僕の心は、あの澄んでとてつもなく甘くてやばいほどのロリータボイスを

いとおしく待ち望んでいました。


懐かしいあの声を、いとおしく、待ち望んでいました。



わからない…

日本の歌手にたとえれば誰になるのか…


誰にもたとえられないけども、

冷めてないつじあやの、って言う感じになるか…


だから誰にもたとえられなくとも、つまりけっして、中島みゆきを望んではいなかったということです。

中島みゆきもだいすきですが、

今ここで待ち望んでいるのは彼女じゃない。


でも僕が聞いたその声は…、

中島みゆきだったんです。


30年もたてば声質も変わるというのはわかる。

じゃあそういってくれ。

彼女は変わらないなんて、嘘をつかないでくれ。





何十年も青春を追い続けていてもいいなんて、

そんなでたらめはやめておくれ。

★花の絨毯 2


1. alfombra de flores


セニョールの行進を、お花の絨毯でお出迎え。

まずはチョークで下書きです。

現在午前11時。

作業をしているのは隣の中学校の生徒と先生達。




2.barrera humana


車が入って来れないように生徒が人間バリケードです。

なんか楽しそう。




3.encima de arcilla


下書きも終わり、

花びらが飛ばないように粘土の上に花びらを乗せていきます。




4.con cola sintetica tambien


バックの色づけはノリ(Cola sintetica)っぽい。




5.son las 3 de la tarde ya


午後三時、4時間かけて完成。




6. otras dibujos


絵は他にも。

そろそろ人が集まってきました。




7. viene un carro


あ、向こうから車が来るよ。

みんなが必死に作った絵が、

あんななんでもない車につぶされてしまうの?




8. oi que haces


え?横から行く気?無理やて。




9. vas a entrar? estas loco?


案外いけるもんやね。




10. ustedes tambien?


また来たよおい。

あんたらはでかいから無理。




11. si pueden no?


…案外、いけるもんやね。


端っこちょっとつぶされたけど。





つづく…


★花の絨毯 3

 

12. a las once de la manana


朝の11時にはこんな感じやったのが




13. a las 5 de la tarde


夕方5時にはもうこんなことに。


あ、奥の方に何か見える。




14. ya vienen


さーあきたね。

前にいる女性信徒の集団は、後ろのセニョールの像を、

後ろ向きになって見ながら、歌いながら、行進しています。


しかしこの集団、どうやってこの群集を掻き分けて進んでいるのでしょうか。





15. densya gokko


見えますかロープが。




16. densya de go


つまりこれは


電車ごっこシステム。


中は楽そう。


さあ、先ほどの絵ですが




17. tampoco pueden pisar


まだ踏めません。




18.viendo atras


後ろ向きね。

セニョールに背中は向けられません。





つづく…

★花の絨毯 4


20. por fin casi son las 6


さあ きたーーーーー。

これが例の奇跡を起こしたリアルなセニョール・デ・ロス・ミラグロスだーーー。

レプリカじゃないぞーーー。


(クリックで画像拡大ね)




senor


みんなしんどそうな顔をしているのがわかりますか。

クリッククリック。

2t ですよなんにしろ。





21. tiran flores


観衆たちは皆二階・屋上から準備していた花びらを投げます。




22. tiran


花びらを




2. flores


投げます。




24. ducha de flores


皆花だらけ(クリックね)




25. dos bandas


更新中ずっと演奏されている音楽は、

二つのバンドがかわりがわりに演奏しています。


さあ、ついに踏まれた絵の結末は?








26. como terimina...


ありゃありゃ…。


まあ 本望ですか。






終わり… 迫力のあるお祭りでした。

★花の絨毯 1

今更ですが、先日撮ったセニョール・デ・ロス・ミラグロスの更新の写真をアップです。

国会議事堂近くで、二階建ての建物の二階から撮りました。




…さかのぼること350年、1655年の11月13日。

リマ・カジャオ地方を大地震が襲います。

建物、特に日干し煉瓦でできた貧しい地域の建物は軒並み振動によって倒れ、数千人の死者が出ます。

パチャカミージャという貧しい地域も例外ではありません。


そのパチャカミージャという地域は、

以前パチャカマ地方の出身者で作られたコミュニティだったのですが、

そのときにはアフリカのアンゴラからつれてこられた黒人達のコミュニティになっていました。

彼らは貧しい暮らしの中でも信仰に救いを見出そうとし、

日干し煉瓦を積み重ねて、一つの礼拝堂を建てます。


その礼拝堂の壁のある一面には、信心深い黒人の手によって、磔のキリストが描かれました。


そしてその地震の日、ただ目を覆う惨劇の中、一つの奇跡が犠牲者の心に救いを与えます。


日干し煉瓦の瓦礫の山。

周りを見れば死体だらけ。絶え間なく聞こえるけが人のうめき…。

そんな地獄絵図の中、倒壊した建物の合間に、そびえたつものがありました。


あの貧しい黒人達の神様、礼拝堂の壁に描かれたイエス・キリストが、

倒れることなく犠牲者を見下ろしているのです。

イエスキリストが描かれた壁だけが、

地震によって壊されることなく残っていたのです。


奇跡はそこで終わりませんでした。

奇跡を起こしたそのキリストの描かれた壁は、あらゆる大衆の信仰の対象となりました。

政府はその信仰を禁じ、挙句には取り壊そうとするのですが、

そのたび大きな地震が起こり、ついに目的を遂げられなかったのです。

民衆の抗議の下、

副王もついにその「パチャカミージャのキリスト」に対し、

1671年、ミサを行います。


そして三度起こるセニョールの奇跡。

1687年、再び大地震、カジャオ及びリマ地方を襲います。

そのセニョールの像が置かれていた礼拝堂はまたも倒れますが、

セニョールの像だけはまたしても倒れずに残ります。



今ではペルー各地でその500kg近いキリスト像のレプリカを神輿に乗せ、

飾り物も含めて2tはあろうかというその神輿を、

神父たちが担いで汗だくになりながら、

10月18、19、28に行進をするのです。


いわれを四五行でささっと書いて、

後は写真を載せるつもりだったのに、

つい力を入れてしまった。

だれでもしってるっちゅーねん。


でもこれを書かないと重みがないねんなあ。


長い文章、またあの人に読み飛ばされるなあ。




…ねむたい。




写真はまた明日。

★寝ぼけた頭で



朝6時おきの早朝ウォーキングは眠たいのだ…。



     tengo sueno



スタート地点に行くまでのコンビを目をこすりながら待っていると…。




     maron blando



ラスト・タンゴ・イン・パリ 時代のマーロン・ブランドのようなおっさんがチャリンコでやってきました。



     viene maron



そして僕のほうを向き…。





   lavate la cara oi!




へ…?




     maron pasando



うーんと…。


ちょっと考えましたが

黙ってるわけには行かない。

マーロンのチャリは考えてる間に行ってしまう。



何か言い返さなければ。







                 lavate la cara tu primero!










ここで黙ってられないところは僕はまだまだ子供だと思いますが、

言うにせよもっと気の聞いたこといえなかったものかと…。

★Aruke! Salaverry 1

夏も近づいてきました。

おなかも気になってきました。

のるのが恐ろしい体重計は、おそらく人生最高記録を示すはず。


…というわけで、二ヶ月集中ダイエット、目標「健康に10kg減!!!」


健康に痩せるためには、適度な運動適度な食事。


毎朝のジョギング+ウォーキングを始めましょう。

記念すべき初回はサラベリ通りです。

身近な通りですが、歩いてみると味わい深いのです。



夏は、近いのです。





Mural de Salaverry



最初に僕らを迎えてくれるのは1985年にローマ法王ホアン・パブロ二世が来たときに

べジャス・アルテスの若者達が作ったペルー24県の全ての景色を描いた壁画。

ペルーの新聞曰く世界最大の面積を誇る壁画だそうです。



その向かいには



     Campo de Martes


     カンポ・デ・マルテ。

     リマ最初の飛行場はここだったのだ。



6万9千平方キロメートルのその公園が終わった頃には




Nunciatura



ヌンシアトゥーラとよばれるローマ法王の宿泊所が、コロニアル様式のバルコニーも見事に

壁画の反対側に建っています。





         MInisterio de trabajo



         その真向かいには労働省。

         今日も労働者達が列をなしています。

         よくこの前をストライキの集団が通り、バスが運行不能になることが。





             Hospital de empleado


             この保険病院の前でもよく看護婦達がハンガーストライキしてます。





                    Camino para peatones



僕がこの道を選んだのは、

アレキパ通りのように真ん中に歩行者や自転車のための専用道路があるからです。





Residencial san felipe



ファミリー型分譲マンションの集合団地、レシデンシアル・サン・フェリペ。

ここまできたらサラベリも半分くらい終わります。





           La marina



           そんな平和なところに海軍の指令本部です。







つづく…

★Aruke! Salaverry 2

Hotel Meria



既にサラベリ通りの左側はペルー一の高級住宅街、サン・イシドロ区。

五つ星のメリアホテルなどもこの地区に。



そしてそんな高級住宅街の一角に、


   Ex casa de embajaror japones


   1996年日本を騒がしたあの、

   旧日本大使公邸の事件現場があります。


現在中の建物は取り壊されて残っていませんが



       La puerta de la casa



        トビラには生々しい弾痕が残っており




           Desde el huequito



          弾痕から中の様子を覗くことができます。

          奥にアフリカンチューリップの木が見えます。



             ちょっと行ったところに新しい大使公邸があって、

             警備が5倍ぐらい厳重になっているのだけれど


                 「安全のため」


             写真はお載せいたしません。



さて、再びサラベリ通りを下ります。


Embajada de India



おっ、庭もきれいに整備されたなかなかかっこいい家だね。

と思っていると、

これはインドの大使館でした。



     una casa linda


     別に大使館じゃなくてもかわいい家はそこかしこにあります。



        camioneta con esteras


        おっとなんかこの地域ににあわないものが。


        このトラックの荷台を覆っているのは

        Carrizoとよばれる葦をつぶして編み上げたEsteraとよばれるシートです。

        このエステラを使って貧しい人たちは砂漠地域で不法侵入を始めるわけです。


       近づいてみると


        Estera


        こんな感じです。



            heladeria



            お金持ち地域。

            白人のマダム達はこんなところでアイスを食べながらティータイムです。







つづく…

★Aruke! Salaverry 3



La calle



閑静な住宅街の落ち着いた通り。



    La casa de embajador indio


    大使館があったのと同じ通りにインドの大使公邸が。

    これなら家と職場の往復だけでつまんねえななんて余計な心配。



       a mi me gusta mas esta


       僕はその隣にあるこの家のほうがシンプルで好きです。



              La embajada de Rusia


              また大きな家があるなと思ったら、

              ロシアの大使館です。

              おるんかねロシア人。






    で、僕がこの通りを選んだのは、気持ちよく終われるからです。

    通りの最後には植物の多い公園が




                     Parque 1




                              Parque 2



市の中心部に近い場所から5km近く歩きサラベリ通りを踏破し、

緑豊かな公園を抜け、行き着くところには


 




                  El mar


                  海です。





           

                  el mar 2


                  海です。






                  un barquito




                  太平洋に浮かぶ小船…







                  小さなたびは終わりです。

★ワンちゃん第二段

昨日に引き続き癒し系です。



犬というものに意味を求めるとすれば


1.家族の一員として家庭に安らぎを与えてくれるもの

2.不審者から家を護るガードマン


という二つの意味が挙げられると思います。



しかしここに


3.病気を治すお医者様


という役割が加われば、その犬の役割ははるかに大きくなり、意味合いさえも変わってしまいます。



犬がお医者様?



肝臓を食べるの?爪が万病に効くの?


身は削りません。

家族の一員として大切に扱いながらも、その犬はお医者さんとしても活躍し続けられるのです。



しかもその犬は



とても愛嬌が良くて飲んだくれの親父よりも家族の心を癒し


とても活発で運動神経がよく、ニートな友達より息子のいい友達であることができ


家族以外には警戒心が強いので、母親・娘を護る番犬としてもうってつけで


頭がよくの見込みが早いので、ダメ息子を抱えた両親にも自信を与えられます。


血統書つきなのでお父さんも友人に鼻高々です。


しかものみがつく心配もなくシャワーも時々でよく、手入れはすごく楽だそうです




そんな理想的な犬がこの世に存在するのでしょうか。


さらにリューマチ、喘息、気管支炎の治療・予防にも役立つというのです。


その犬はペルーで唯一にして独自の血統書付きのおえらい歴史のあるお犬様です。



ペルーの伝説によれば私たち人間は月とその犬の子供だそうです。

霊界の案内役だったとも言います。



   perro agarrado con un calato loco



ん?


前日に引き続きワンちゃんが活躍しておりますが

これこそ、そのワンちゃんがお医者様たる秘密なのです。



その犬は常に40度ほどの体温を持っており、

リウマチ・喘息・気管支炎の一般的な治療法とされる「温熱療法」にもってこい、

まさに「生きた湯たんぽ」ということですね。


その他温熱により痛みを和らげることのできる全ての病気にやくだちます。

人肌ですから。


写真を見てわかるように治療法とは、

その犬を抱いて寝ることです。


「中国犬」という別の呼び名があるのは

1850頃にペルーにやってきて半奴隷的にこき使われていた中国人が

毛布代わりに抱いて寝ていたからだそうです。


その犬には毛がないので、

動物の毛アレルギーの方も心配ありませんよ。



さあ、この記事を見た方は皆今すぐにでもその「ペルー犬」を抱いて寝たくなったはずです。


今日はそのペルー犬のもうちょっとリアルな写真でお別れです。


























                                       perro peruano con un calato







ごきげんよう…。